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18歳成人論:18歳からは「何もかも大人」であるべき(だが)

選挙権を18歳から持てるようになった。この政策についての政治的な思惑はさておき、ここではまず「18歳成人論」を唱えることにする。

 

参考:

18歳を「成人年齢」にして大丈夫か? | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

特に18歳という年齢にこだわるわけではない。ここで主張するのは「成人とみなされる要素はそろえるべき」ということである。

 

かつて日本の「元服」は15歳であった。この元服とは「昨日まで子供、今日から大人」となる儀式である。この儀式には特別な「通過儀礼」を持つ民族もあり、バンジージャンプもその一つである。

 

この「成人の儀式」に必要なことは、昨日までは不自由ながらも守られた身だったが、今日からはすべて自由になる代わりに容赦ない責任を負う、という急激な身分の変化である。この変化の緊張感が社会を構成する一員になるという自覚を促す。昔の日本の場合はまず髪型が変わる。武家なら名前と服装が変わり、農民以下は早々と婚姻が準備され社会への取り込みが進められる。昨日まで坊や扱いが突然扱いが一変するのだから本人の意識も否応なく急変する。

 

現代日本はこの点で完全に混乱をきたしていると言わざるを得ない。まず成人は20歳と定められている。酒・煙草・選挙権等は20歳で解禁になる。18歳で解禁なのは男性の結婚、パチンコアダルトコンテンツ(共に高校生不可)。女性の結婚は16歳からである。

 

この「解禁年齢」のズレは長らく日本人に成人になることへの確固たる覚悟を阻んでいる。最近では下火になったが、成人式で暴れる連中は明らかに「成人」の意味、守られる身分から落ち度があれば容赦なく責任を負う身分への変化を理解していない。また女性の16歳の婚姻年齢は結婚が自由になる年齢、では決してなく、どちらかと言えば「結婚をさせられる」年齢である。この制度が形式上とはいえ現在でも残っているのは驚愕に値する。

 

一方で少年法の適応は年々下へ下へ引き下げられようとしている。凶悪犯罪へのペナルティ、危険な犯罪者を隔離したい心情が年齢に関係なく犯罪者への不寛容となって表れている。(「少年犯罪の凶悪化」については反証するデータや論評が数多くある)

 

人間は間違を犯す。子供と成人の違いは、その責任を親が負うのか本人が負うのかと言う違いである。本人に負わせるべき責任年齢を下げることがはたして少年犯罪抑止に役立つのか?「少年」の犯罪者に対して必要なのは徹底した教育であり、これは言い換えれば「自分の作り直し」の強制でもある。当人にとっては単に刑務所に放り込まれる大人の受刑者よりも過酷である場合もある。

 

日本の刑罰とそれを支える風潮には「因果応報」の思想が濃く、それ自体は間違いではないが、度を超えると肝心の犯罪の抑止という社会的合理性が失われる。少年法はあくまで正式な成人年齢を超えて引き下げられるべきではない。

 

重要なのは18歳を境に未成年から成年に全てがガラリと変わることで、そのためにも法的に成人は18歳からと正式に制定する必要がある。被選挙権も18歳からでよい。「大人」である18歳の候補が議員にふさわしいか決めるのは有権者である。

 

ここで問題になってくるのは高校生の内に成年と未成年が混在するという現状である。これに対しては「18歳の誕生日を迎えた後の4月1日を持って成人」ということでよい。つまり厳密な年齢より学年準拠ということである。人によっては1年近くの「年齢差」が生じることになるが、そもそもその年齢までずっと学年で分けられて育っているのだからなんの問題もないはずだ。急に厳密な年齢で分けられる方がよほど不自然である。

 

しかしここへきてなぜか「18歳から酒・煙草も解禁」という論が自民党から出てきた。思うにこれはこの稿で主張している「成人年齢は揃えるべき」という趣旨ではないような気がする。その思惑はさておき、酒・煙草については「自己責任」だとかいう話からは切り離して国民の健康という観点から考えるべきだろう。

 

特に煙草の依存性の強さは吸い始める時期に大きく左右される。10代から始めた人が止めるのはなかなか大変だ。(ちなみに僕の場合は30歳から始めたので吸うのも止めるのも自在である。)

 依存性の程度や働きが異なる酒と煙草を同列に扱うのも疑問がある。煙草については25歳くらいを解禁とするのが妥当だろう。この規制は国としての「サービス」で、安易な自己責任論などよりよほど有意義だ。

 

成人年齢とそれに付随する権利と責任の発生は18歳後の4月1日に全て統一することをここで提案する。そして健康に関わる嗜好物の解禁はこの問題から切り離す。高校卒業した(年齢になった)ら大人として扱うということだ。それによって日本の社会はかつての成人儀礼の意味を復活させ、モラトリアム社会から卒業すべきである。