余談として:遊牧民族と狩猟民族

これは過去記事の牧畜民族という観点から西洋人を理解する農耕民族と言う観点から日本人を理解するの補足である。

 

日本とヨーロッパは遠く隔たっているにもかかわらず古代―中世―近代とよく似た発展段階を経て いる。これには他の状況的な共通点もあるが(大きな先進文明が「少し離れた近く」にあることなど)、基本的に「狭い農業文明(農村から発展した広域社会)」であったという共通点があ る。では他の文化についてはどうか。

 

まず遊牧民族について。「遊牧」とは人類の歴史上新しい生活形態である。これによって 人類は草しか生えない広大な乾燥地帯を征服することに成功した。遊牧民の生活は基本的に「戦闘態勢」であるために個々に高い戦闘力を持つ。その戦闘力は主に対抗する人間に向けられたものであるため、「人を殺す」ことについての禁忌は農業民のように厳しくはない。しかしそれだけにお互いの戦闘力によって抑止力が生ずる。遊牧民もまた農業民と同じく集団を作らなければ生きて 行けず、フェアな協定と力関係のバランスが社会の秩序になる。

 

そして狩猟民族について。狩猟民は基本的に小さな集団で生活 する。自然の生産力に頼るため大きな集団は維持しがたいためである。そして遊牧民と同じくやはり個々に戦闘力を持つ。遊牧民と同じく殺人の禁忌は厳しくは ないが、基本的に一人で生きていける狩猟民は「いやな相手」と付き合う必要は少ない。なので社会の軋轢を受け入れる秩序はそれほど必要としないと考えられ る。

 

遊牧民族や狩猟民族には先祖を動物とする伝承をもつものがある。狩猟とは牧畜と違って一方的な殺戮ではない。人間と動物 による力と知恵の対等な勝負であり、それゆえ「強い相手」に対する畏敬の念も生まれる。遊牧民もまた相手が人間ではあるが「力の勝負」をする民族であるた めに、ことさら人間と動物の論理的区別を必要としなかったのだろう。

 

文化とは突き詰めれば食料をどうやって得るか?ということだが、世界を見渡せば以外に純粋なものは少なく多くの地域で交錯している。半猟半農、牧畜と遊牧の中間などハイブリッドな文明は数多い。その中で植物だけを相手にする農耕と、いくばくかの漁業で成り立つ日本の文化はこれだけの規模としては特殊といえる。日本の農業と漁業はハイブリッドではなく完全に分離しており、それぞれ文化も異なる。例えば漁村地域では伝統的に「敬語」が存在しないというように。

 

異文化を理解することは自分の文化を理解することでもある。