日本人の単一階級意識の源泉

今政府が「一億総活躍社会」という妙なスローガンを掲げているが、少し昔には「一億総中流」という言葉が流行したことがあった。当時子供だった僕は「みんな普通ってことでしょ?」と思っていて、特にこの中流意識が変だとか変わっているとは感じていなかった記憶がある。特に70~80年代に新興住宅地で暮らしていると日本の社会に「階級」や「階層」があるとはイメージしにくい。

 

さらに遡って戦中は「一億玉砕」等「一億~」がよく使われることから、少なくとも戦前には日本人には階級や階層としてはみな同じという意識があったのだろうと予想できる。しかし日本人は鎌倉幕府が開かれてから明治維新までの680年ほどの間を、身分の区別が厳しいはずの封建制で過ごしている。それが明治から昭和までの短期間に階層意識がなくなっていくとはどうしたことだろう?

 

一番簡単な回答は「士農工商といえど人口の大半は農民であり、元から単一階級に近かった」というものである。特に日本の農民は「農村」に住んでいて自分の階層の人間とばかり過ごす。ヨーロッパでは人は基本的に都市に住むため異なる身分の人間との交流も軋轢も区別もある。しかし日本の農民は都市と縁を持つことが少ない。

 

表題の問題はほとんどこれで説明してしまえるが、あえて他の要素を検証してみることにする。日本においては「血統」という意味での「名家」は天皇家しかない。源平藤橘はすべて天皇家との関係によって権威付けられる。天皇と血縁関係がない、フランスで言えばノルマンディ家のような名家は日本には存在しない。

 

血統への信仰はかつて鎌倉時代までは特に濃厚に残っていた(であったからこそ頼朝が挙兵できた)が、それが戦国時代まで来ると動物的な血統より観念的な「家」が重視されるようになる。その理由としては戦国大名の多くがは大した血統を持っていないことにあるのではないか。

 

戦国大名の出自が怪しいのは誰の目にも明らかだ。例えば明治時代に蜂須賀小六の子孫、蜂須賀茂韶侯爵が宮中で待たされ、応接室の煙草を一本失敬したところを明治天皇に見つかって「蜂須賀、先祖は争えんのう」とからかわれた逸話がある。これは蜂須賀家の先祖が盗賊であることが、少なくとも俗説としては広く知れ渡っていた証拠である。

 

そんな馬の骨大名たちが血統で箔をつけようとすれば公家をはじめ天皇家に連なる名家と婚姻を結ぶ他ないが、天皇を頂点とする血統のランキングに入るのは時間がかかる。それに公家は血統だけが取り柄だからそう簡単には血を分けてはくれない。(もちろん家系図の捏造はする。)

 

日本の封建制の特徴は支配層が「武家」であった点である。武家は血統だけの公家とは違い、「働き」によって地位を得る。「働き」にはそれを認める存在が必要である。鎌倉時代には武家は棟梁である将軍家や執権家に忠誠を尽くした。足利時代には武家の棟梁は全武家の忠誠心を受ける存在ではなくなり、戦国から江戸時代では大名個人を経て藩の「お家」という形而上的存在に忠誠心が集まることになる。

 

実力でのし上がった大名たちの箔付けに血統を使うのは限界がある。「お家」の概念は出自の怪しい戦国覇者たち、の子孫が身分を安定させるためにも必要であったのだろう。この生身の人間から離れた「お家大事」は日本的なパブリックの精神を生む。藩の構成員は大名個人ではなくお家という公共の存在のために働くことになる。

 

明治の廃藩置県が可能だったのも藩がすでに大名個人の肉体から離れた公共の組織だったせいである。これは室町幕府守護大名が戦国時代に滅ぼされる際に、自分の血統権威を守ろうとして実にしつこく領土や自身にしがみつくのとは対照的だ。

 

日本人の一階級意識は実はかなり前、封建時代中期ごろからの伝統と言える。逆説的だがそれを可能にしたのは天皇だけが持つ血統の権威の力である。血統の権威が天皇だけに集中していたために、日本の社会は形の上では封建制のままヨーロッパとは違う独自の順序で近代化への準備を完了することができたのである。